2006年03月12日

■ 未來予想 二十七/二十九 ■

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弥生もそろそろ中盤を迎へまして、新しい草木の息吹きを感じる此の頃となっております。皆様、如何御過ごしでせう。

此の季節ともなりますと、ほろ酔い加減となり、

草木の中に、身を委ねて居眠りをすることも、、

気持ちの好いモノやもしれませぬ。

「こおろぎ」は季節外れですが(笑

で、なんのコトかと申しますと、

サテ、長きに渡り、お休み戴いておりました当頁、突然では御座居ますが、本日ひとつの「祭り事」に参加させて戴くコトになりました。

以前も、一度参加させて戴いたことのある「行事」の第三弾、

ぶろぐという媒体を通して、ひとつのお題に、それぞれ思うことを、「言葉」にしてみやう、というもの。

前回のお題は、「幸せ論」でした。

今回のお題は、二十九人、それぞれの「未來予想」。

またまたタイヘンなお題で、如何なる「未來」に関する綴りが飛び出すのやら、皆目検討のつかぬ、予想だに出來ぬ、「未來予想」でアリマス(笑



で、当方の「未來予想」は、

上記の句のやうな「予想」で在ります。



お仕舞ひ。


(嘘です)








さあて、前座はサテオキ、

当方の「真面目」な今回のお題への綴りに参り升。


当頁、当分の間、コメント欄、トラックバック欄をお休みさせて戴いて
おりますが、

今回に限り、開放させて戴きます。

予め、ご理解の程、宜しくお願い致シマス。

でわ、暫しご辛抱の程、御願い申し上げ升。





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↑「未」の甲骨文


「未」、木がこれより先に生い茂っていく様を表してオリマス。

発展途上、なワケです。

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↑「來」の甲骨文


「來」(来)、コノ文字の起源は、実は、穂が垂れて、実った小麦の立ち姿とのコト。
「麦」という文字は、この「來」に足を添えたものなのですが、この「來」と「麦」、意が逆になった、、という見解のやふ。

で、「來」は「くる」ということに。


で、この「來」と「麦」の関係で、ふと思い出した私ゴトがあります。

私目、以前お仏蘭西に数年の間、住んでおりまして、

その際に、何をしていたかと申しますと、

「パン」をつくってオリマシタ。

一応、パンと云えば、フランス、フランスと云えば、パンという、お國柄ですから、

やはり、当方がつくっていたモノも、

「フランスパン」と云っても、過言ではないのでせう(笑

この「パン」をつくるには、

「麦」は欠かせません。

私目が、働いておりましたパン工房ですが、

自然発酵のパンをつくっておりまして、

イースト等の添加物を加えて発酵するといふ、

近代的な製造法ではなく、

伝統的なパンの製造法を伝承して居りました。

この「伝統的」製造法はどういうコトかと云いますと、

小麦粉を水で練ったものを温もりのある場所に放置させて、

パン種(ルヴァン)をつくり、その種に新たに小麦粉を加えて、

その日のパンをつくる、、、といった、

完全純粋な、「自力発酵」のコトを云います。

お仏蘭西で生産される麦は、にっぽんのものと違って、

グルテン質(タンパク質)成分が多く、

純粋に小麦だけの種で発酵が可能となります。

(因みに天然酵母とは果物や他の穀物を加えて、「酵母」をつくったもので、明確に分けると異なるのデス)


この「パン種」ですが、

生きて居ります。

「生き物」であり、その日の温度、湿度、天候、

すべての要素に、いとも簡単に左右されます。

「予想」がつかなひのですね。

毎日が其の日の出来具合を

「未來予想」するコトになります。

勿論、ヤタラメッタラに「予想」するワケではありませぬ。

此処に必要とされるのは、

「経験」でせうか。

過去の経験を基に、「勘」で其の日の加える水の量や、

発酵時間、こね具合を調整するのですね。

この、パンつくり、

すべてのコトに共通するのでせうが、

笑う日もあれば、大泣きする日もあります。

まるで、「人間」対「人間」の如し、デス。

極まれば、「男性」対「女性」(爆

お客様に、販売させて戴く「商品」ですので、

あまり「大泣き」してしまうようなコトは

できるだけ、避けたいモノではありますが、

これは、あくまでも、小麦の「機嫌」次第でもあるコトでしたので、

時に・・・・・・・。



このパンつくりで、色々なコトを学びました。

「手」を掛けるということの、大切さ、

この「人の体温」を通して、形を為したものの「生命力」、

温もりというものは、目に見えないものですが、

確実に、時間と共に、伝わるものであり、

抽象的で在れ、具象的で在れ、

感情というものを育んでいくものなのでせう。

「手」を掛けた作物を、

「手」を掛けた食材を、

素直に、有り難く「戴く」ことが、

「人」をつくり、

新しい「生命」を宿し、

私たちが「住まわせて」戴いている、

この環境をつくり、

「未來」を明るくしていくのではないかとも、

感じて居ります。

当方が再び小麦との語らいの「経験」を紡いでいくことは

此の先、在りませんが、

当方が「いのち」を受け継いだ此処「にっぽん」に於いて、

伝承すべきコトを紡ぐ、そんな生活の中に身を置けたら、

と思ふのです。



「未來」へ繋げていく為に、

当方は、未だ「戴く」ことしか、出来て居りません。

両親より「いのち」を戴いて、

食べるものにも、取り敢えず困らずに、

生きてきました。

これは、あくまでも、当方個人の考えですが、

「女」として、いのちを授かった以上、

やはり、「いのち」を授かった恩返しは、

出来ることなら、させて戴けたら、と思うのです。

人間も、自然界のほんの一部でしか、

ないのですから、

巡ってきた「いのち」の道程を

引き継ぐのは、当然の摂理なのでせうね。

但し、「未來」を引き継ぐには、

「生命体」の一部として、

感覚をもう一度、研ぎ澄まし直す、必要があるのやもしれません。

さもなければ、「危うひ」のではなひかと、どういふ意味であれ。

当方も、過去に色々と「夢」を持ち、自分の「未來」を思い描いていたこともありましたが、

ことごとく、実現致しておりません(爆

が、過去に通って来た道程は、やはり「今」の自分をつくっていることには、変わりなく、

否定することは出来ません。


「過去」を生かす、


生かすか、無にするかで、

これからの「未來」の行く先が、変わっていくのでせう。

さふ、在りたいデス。

以上、あくまでも、当方の希望的主観ですので、

アシカラズ(笑


今回の、この「祭り」に参加した、ぶろぐを通して知り合った人々ですが、

一年前には、ひとりとして出逢っては居りませんでした。

この一年の間に、ぶろぐだけでなく、

直接「なま」で交流させて戴く等を通して、

本当に様々な出来事がありました。

此処では、敢えて触れませんが、

当方にとっては、大変に大切な「えにし」を戴きました。

これは、一年前には全く「予想」だにしていなかった

「未來」でありました。

一年後に揺蕩ふ、「風」。

「風」を興す環境を築くのは、

自分の「在り方」次第。



重ね重ねではありますが、

改めて、皆さま、有難う御座いました。

今回、「祭り」に参加致しました二十九人の方々は

コチラに御座居升。


そして、当頁に目を通して下さった皆さまにも、

感謝の意を表し升。

甲骨文から、何故か「パン」の話となり、

トドのつまりは、当方のボヤキと相成りまして、

些か意味不明であったやもしれませぬ、

御容赦下サヒマセ。

posted by ろゆふ at 17:48| Comment(57) | TrackBack(9) | ブロガーの輪(和) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月20日

二〇〇五年に芽吹きし、縁【えにし】

今年も残すところ十日と相成りました。

今年も様々な方々との出逢いがありましたが、併し、二〇〇五年、、、恐らく当方にとって、此処数年の中で、稀に見る「事変」が起きました。

今年、四月に此の墨娯游帖を始め、予想だにもしていなかった「縁」が六月二十三日に頂戴した、あるひとつのコメントから波及していったのです。

「反響道 儲けるポスティング損するボスティング著者の戯言」望月氏でした。反響広告について、様々なご経験と視野を持つ、という単なる職業人の枠を越えて、ずばりとコトの本質を見抜く、人生幅を持った方であったのです。

此の望月さんが訪れて下さったことにより、次々と出逢いが繋がっていきました。

「○○○ JUK flavor words ○○○」JUK君、詩人であり、シンガーであり、表現者。様々なアーティストの才能通しを結びつけていくという、手腕も持ち合わせた風雲児。望月さんからの御指南で、七月にJUK君と接触。初めてなま會合をした際に、ものの五分程で、JUK君が温めていた絵本プロヂェクトに題字ロゴ制作として、参加させて戴くコトに決定。

そんな始まりでありました、、、

このふたつの出逢いが、、、気が付くと、大変な御縁繋がりの序曲でありました。

八月、九月、十月、

此の時点で、ブログを通して知り合った方々と、数回の會合、長瀞での総勢合宿、宮崎からの仲間をお江戸で総勢御出迎へ、、

その都度、ブログでやり取りはあったモノの、初めてお逢いする方ばかりでしたが、ほぼ毎度、まるで旧知の仲のやふな感覚で、打ち解けていったのです。

そして、先日、十二月十七日。

二度のブログ上のイヴェント(プロ論・幸福論)に参加した面々で、今年芽吹いた縁への想いを込め、忘年會を開催致しました。

此の忘年會の参加者、総勢三十名。其の中にはなーんと、またまたの宮崎から、姫路から、大阪から、京都から、愛知から、、、わざわざお越しになった方もいらしたという、気合の入り方が一本筋通ツてオリマス、といったものであったのです。

此の忘年會、なんと、土曜日の18時半より、翌日曜日早朝8時半まで、オールで続きました。十四時間もの間、語ツて、語ツて、語る、、です。まあ、最後の数時間は歌ひまくりでしたが:笑

此の御縁は、来たる二〇〇六年に向けて、更に深みを付けて、なにかしらの形となってくるでせう。方々で、仕事で刺激しあっている者、コラボ計画をしあっている者、、

私事で云えば、やはり絵本プロヂェクト。来年二月出版の予定。みぃさんも二月に和のイヴェントを開催、当方もお手伝いさせて戴きます。そして、、【ROJUK】。乞うご期待下さひ。

縁というモノは、自らも手を差し伸べれば、繋がっていくものであるということ、其の縁に時間の長短は関係のないやふです。此のブログで生まれた縁も、たかが半年の間のことです。驚くくらい、素敵な方々ばかりです。

忘年會にご参加された方々、お疲れさまでした! 是からが益々楽しみです。來たる丙
戌歳には、蕾を花咲かせませう。

御縁に感謝。皆様に感謝。

でわ、一足早ひ、、めりぃくりすます!

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御提供はイベント屋 新井さゆりサン望月サンハカイダーサン、でした! 有難ふー御座居ました。

posted by ろゆふ at 22:10| Comment(16) | TrackBack(6) | ブロガーの輪(和) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月26日

はかひだあ伯爵の素敵な休日とジャポニズム展

九月二十四日(土)、二十五日(日)、東京ビックサイトにて、『もの作りギャラリー』が開催。その企画内の『ジャポニズム展』へ「手仕事屋」のみぃさんが参加され、当方も二十四日に参上致しました。

みぃさんのご好意で当方が昨年の個展「虚殻空」に出品した「いろは歌」パネル書をブース内に置いて戴きました。これまたご好意で「たたみ屋つよし」さんがこのパネル書の寸法にあったオリヂナル畳をご用意下さり、みぃさんの和の作品と共にあっても違和感なく、居心地佳き場にて参加させて戴きました。

当方は仕事の都合上、土曜日にしか伺へず、残念でありました。

みぃさん、お疲れさまでした。今回、此のジャポニズム展で、「手仕事屋」さんに便乗させて戴いたことで、またまた新しい人々との御縁つくりのきっかけを頂戴致しました。有難ふ御座居ます。
更なる新しい和に関わる人々が表現される「まつり」が近く予定されいる情報を知る機會も戴きました。近く當頁へ、またお報せさせて戴き升。御愉しみに在レ在レ。

そひて、伯爵はかひだあ氏が此の度愉快なお江戸の休暇を過ごすべく、遥々南の國よりお越しになりました。
休暇というよりは、本来の目的はとある貴重な「學び」の為で、NOBO氏のお惣菜の御師匠による講話は大変に意義の深いものであったやふ。

二十四日には、ジャポニズム展来場。はかひだあ伯爵お江戸入りを祝い、総勢二十人近い「ハカイダー」を知る人々がこのジャポニズム展へ集いました。

宵の刻には御台場より屋形船乗船。祝賀會。

今更では御座居ますが、此のはかひだあ伯爵に以前から面識があった方はひとりも居りませんでした。併し、恐らく何処の誰に伺っても、お初の祝賀會には見えなかったでせう。すンごひことです。

当日、残念乍ら参加できなかった素が屋氏から感動的な差し入れもありました。有難ふ御座居ました。

デハ、ほんの少しばかり、キャメラに納めました一場面はコチラから。殆どがブレレレ画像にて、失礼ヲば。

ハカヒダア伯爵無事南ノ國ニ御戻リニナラレタサフ亦來テネ。
posted by ろゆふ at 22:59| Comment(27) | TrackBack(6) | ブロガーの輪(和) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月06日

「幸せ論」後夜祭 於長瀞

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「 縁 」



平成十七年九月三日、四日、
「えにし」に導かれ、引き寄せし、受け止めし、
さきたまは長瀞に集ひし、
共有し生まれし空間、時間、
沁々にたのしみ、いつくしみ、人縁に、
此処に始まりし、継へし、繋げし、
重ねつつ、確かに在ることに、


御縁を誠に有難ふ御座居ました。
長瀞後夜祭の参加者すべての方々、「幸せ論」に参加された方々、厚く御礼を申し上げ升。

「幸せ論」後夜祭 於長瀞の一場面、、と云うか否か、単なる個人的嗜好悪戯趣味画像は此方より。
posted by ろゆふ at 14:11| Comment(41) | TrackBack(3) | ブロガーの輪(和) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月21日

■共通テーマ「幸せ論」ア-七■


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皆様、残暑厳しき折、如何御過ごしでせうか。暫しのお休みを戴いておりました當【墨娯游帖】、本日より再開させて戴きます。休暇中、数々の温かいお言葉をお寄せ下さった皆様、厚く御禮を申し上げます。今後とも墨娯@ろゆふを何卒宜しくお願ひ申し上げます。

サテ、ブログというものを通して此の数ヶ月、様々な方々との意見のやり取り、新しい発見、今後の可能性等、大変に有意義な時間を過ごして参りました。其の中のひとつの御縁として、今回『第2回 ブロガーの輪(和)』という企画に参加させて戴くことと相成りました。様々な職業、分野、地域、性別、年齢を越え、六十一人のブロガーが、今回の共通御題『幸せ』について、各自一斉に公開するという企画です。

と、云ふコトで、僭越乍ら当方が考える「幸せ」について、綴らせて戴きました。あくまでも経験の浅い当方が主観的につらつらと述べまくりの世界で御座居ます。何卒片目つむってお読み下さひませ。

『第2回 ブロガーの輪(和) 共通テーマ「幸せ」』企画の参加者の皆様はコチラで御座居ます。

當頁の記事につきましては、皆様どなたでもお気軽にご意見をお聞かせ下さいまし。開かれた場でありますので、なんとぞご遠慮なさらづに。

デハ、祭りのはじまりイ。


『幸せ』について


「しあわせ」

「仕合わせ」

「為合わせ」

「シアワセ」

「幸せ」

「倖せ」


今まで改めて「幸せ」について、綴ったことと云うことは、なかったと思います。
今回、此の「幸せ」を言葉として捉えて調べてみたところ、上記の通り、多様な文字表現浮かび上がりました。

更に、「幸」という文字として、捉えてみました。

sachi.jpg
「幸」の文字の起源はなんと、刑罰の道具に用いる、両手にはめる手枷の形なのです。(左図は「幸」の甲骨文字)

ちなみに

此の手枷を両手にはめた形は「執」、

報復刑として手による犯罪に枷をはめることは「報」、

となります。

此の中で、手枷だけの刑罰ですむことは、重い刑罰を免れるということで、

「思いがけない倖せ」

と云うことから、「幸」が「さいわい」という意味に繋がります。


また、「しあわせ」という日本語の観点から辿ると、もともとは、

「し・あわす(為合わす)」となり、

「めぐり合わせ」
「事の成り行き」

と云う意味合いとなります。

此の巡ってきた事柄が「さいわい」であっても、「喜ばしくない」場合、双方に用いていたやふで、其の「さいわい」の意味のほうが、より一般的に使われるやふになったやふです。


改めて、調べてみた中で、言葉として強く残ったものは、「めぐり合わせ」でせうか。


「しあわせ」というものを「幸運」として捉えた場合、ある意味「事の成り行き」ではないかと思ふことが、多々有ります。

そしても自分自身が、「果たして解放されていたか」、ということ。

毎日生きている以上、様々な出来事が私達の身の周りに起きます。大きなことも、小さなことも、すべて含めてです。


コレは甘いゾ、と信じてバカンと割った西瓜が、まだ種さえも白かったコト。

いつもしかめっ面の近所のおじさんが、初めて「気をつけて行ってこいよー」と声を掛けてくれたコト。

墨の滲みが思いかけず、なかなかの出来であったコト。


などなど、

些細なことは日常の中で、山のやふにあります。其のひとつひとつの出来事の中に、小さな「不幸」を感じたり、「幸」に感じたり、此れは人によりけりでせう。

人との交流や出逢いの中で、「不幸」と感じたり、「幸」と感じるか、此れも人によって、千差万別。

思ふに、自分自身の器に出来事を受け止める際、自らのこゝろを解放出来ていたか、其れが出来ない状況であったかにより、器に入った際に感じる「さま」が違うと思ふのです。

また、其の器に入った後も、時間とともに変化していくもの。

「めぐり合わせ」、「事の成り行き」を結果的にどう自らが受け止めるか、

どう、育んでいくか。

「しあわせ」は与えられるものではなく、自分自身で築くことではないかと思ふのです。


今日、自分という者が此処に存在するということ、そして、人々との出逢いがあるということ、好きなことをやって生きているということ、現在は悩むやふな病を抱えていないということ、

大変な「しあわせ」であります。

たとえ、其の「時」は「不幸」と捉えることしか出来ないことであっても、時間の経過とともに、「倖せ」と受け止める自分を見つけることもあるでせう。

すべては自分のこゝろ持ち次第。

思ひ起こせば、

かつて、自ら「何故にこんなコトばかり起きよるのかねい」とすべては周囲に責任があるかの如く、憤慨に思わざるを得なかった時期を経ておりますが、

すべては自らの行動の「めぐり合わせ」で引き起こしていたこと、
こゝろ持ちの傲慢さが、コトを更に悪化されていたとも云えます。

その時点では、冷静になり気が付くことが出来るやふな、精神的余裕も無し。

が、時間とともに、すべては変化して行きます。

時には委ねることも必要なのでせう。

「しあわせ」なのか、否か、すべての答えは自らの中にあるのでせう。


暫くの間、當墨娯をお休みさせて戴いておりましたが、其の間、当方にとっては新しい試みである、墨を用いた自由表現による、作品創りに追われておりました。

文字を使わない表現です。

今まで、ひたすら文字というものにこだわり、創作をして参りました当方にとっては、出来の好し悪しについてはさて置き、大変に佳い勉強となりました。

新しい世界を発見していくこと、

此れも、作家としてのひとつの「しあわせ」です。

ちなみにけふの当方の手元の「しあわせ」は、
真ん丸お月さんを眺めつつ、おくら納豆つまみに焼酎ロツクを頂いたコトでせうか。

お粗末さまにて御容赦の程ヲ。
posted by ろゆふ at 01:09| Comment(86) | TrackBack(29) | ブロガーの輪(和) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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